わいがイベントに求めてるもの
わいがキャスト側に求めているのはクレイジーさであることは常々公言してる。
頭おかしいやつと関わっているのが何よりも面白い。そういうやつなのだ。
そんなわいがイベントに求めているのは、はっちゃけた企画であって、ファンとの交流とかではない。ってかファンとの交流をやりたいならお渡し会を複数回開けばいい。2人しかいないスペースで勝手にやっててほしい。なーんで、どこぞの他人が幸せになってる姿を見なければならんのだという気持ちになる。
そんなこと言いつつも自分が当選したら当選したで死ぬほど嬉しいのだろう。すんごい自慢するし、X(旧Twitter)のVIOにも入れちゃうのだろう。だけど、それ以上に他人へのファンサービスを待ってる時間は暇すぎるし、正直苦痛に感じる(こういうところは配信見れない秒に通じるところがあると思う)。
そういう意味では今回の某イベントについて、借り物競争はある意味楽しかったけど、借り物競争+プレゼント企画は正直くそほど長い体感時間だった。クイズも面白かったけど、正直キャストからは何もコメントもしようもないようなクイズで話を広げることはし辛いような企画であり、無理に誕生日に絡めるような企画は良くないんだなと改めて実感した。
総じてわいはAqours Documentaryを秒と表現したと思うが、某イベントはくそほど長かった。体感時間が長い=つまらないという訳ではない(ここまでうだうだ言ってるけどね)が、つまらない時間は多かったと思うし、正直死ぬほど萎えた。
どうせ行くなら去年参加した恋愛シミュレーションゲームみたいなクレイジーさをわいは求めている。
10/15追記
他の人にファンサしてる姿も好きなんすよ〜って人は本当にオタクの鑑だと思います。
でも、個人的には俺の時間の無駄だと思うし、それなら別のことしていたい。
推しのことをなんでも知りたい訳でもない。
【ネタバレ注意】Aqours Documentaryの感想その2
前回の記事で書けなかったこと、書かなかったことを追記していこうと思う。
ぜひ前回のブログを読んでから、こちらを見てほしい。
また今回は色々な集計?した結果も含めて話そうと思うが、ガバ集計であんまり参考にならないと思うが、雰囲気で受け取ってほしい。
1 インタビュー回数の違い
見た人全員共通の感想だと思われるもの。
なんかキャストによって、登場回数結構違くね?ってことだ。
伊波杏樹>逢田梨香子&斉藤朱夏>>降幡愛>>>>>>>その他メンバー。くらいな気がするだろう。実際にどのくらいの回数だったか数えてみた。
カウントについては各々が最初に座ったインタビュー部屋及びリハーサル現場等で個別に聞いた回数とする。
伊波杏樹 11回
逢田梨香子 12回
斉藤朱夏 8回
降幡愛 9回
高槻かなこ 4回
小林愛香 4回
小宮有紗 3回
諏訪ななか 3回
鈴木愛奈 3回
(逢田梨香子と鈴木愛奈のリハーサル後のくったくただよ~含む)
やはりインタビュー回数に大きな開きがあった。理由は何かと言うと、コロナ以降のインタビューについて、回答していないからだ。
高槻かなこ、小林愛香、小宮有紗、諏訪ななか、鈴木愛奈は過去のライブの話しかしておらず、Finale Liveや現在に向けての話は何もしていない。
現在のFinaleに向けてのインタビューについて、回答しているのは、伊波杏樹6回、逢田梨香子5回、斉藤朱夏3回、降幡愛3回だ。
後半は上記の四人しか感想を話していない。明らかに四人だけ多いよなって思うのは当たり前である。
なぜこの四人しか現在の話をしていないのか。これは私の推測であるが、ある意味ショッキングすぎるこの映画の内容について、事務所からストップがかかったのではないか?と考える。ある意味ファンを裏切っていたと捉えるファンも多くいるであろう映画内容であり、キャスト売りが強かったラブライブ!サンシャイン!!というコンテンツに関わっていたキャストの今後のイメージも考えて、ストップがかかったのではないかと考える。
あとは普通に撮れ高がなかったか。最初で最後のドキュメンタリーという煽り文句を無視して、第二章を公開する予定があるのか、だ。
2 これは何順?
最初のインタビュー会場に向かうキャストの順番は下記の通り(のはず)。
足 小林愛香
胸 斉藤朱夏
背中 逢田梨香子
つむじ 降幡愛
足 諏訪ななか
背中 高槻かなこ
腹 伊波杏樹
顔 小宮有紗
足 鈴木愛奈
着席順は
小宮有紗
降幡愛
どういった意図がある順番かは分かりません(おい、考察しろ)。ぜひ気づいた方は教えてください。
3 グッズの着用数
レッスンシーンがいくつか抜かれていた。
その中で気になるところであったのは、みんなのレッスン着だろう。
フルグラを身に着けてる人もいたし、普段から身に着けてる人もいたのだろう。そんな中途中から気になった部分「あれ?伊波杏樹ってグッズ身につけてなくね?」という疑問だ。
小林愛香のファイルを初めとして、その後はフルグラでなくてもみんなリハーサルや会場入り、ミーティングの際にある程度はグッズを身に着けていた。
私のカウントでは多い順(ミーティング時の降幡愛のナップザックや椅子にかかっていたフルグラ含む)で以下のとおりだと思う。
小林愛香 7回
高槻かな子 4回
逢田梨香子 1回
伊波杏樹 0回
これをカウントした時に正直ゾッとした。基本的に伊波杏樹と鈴木愛奈の二人はレッスン着は固定している様子だが、それにしても…。
まぁ収録されていないリハーサルもあったし、そこできっと着用しているでしょう。
ちなみに小林愛香は基本的に皆勤賞だったと思う。
4 個人的にしっくりきた感想
正直、個人的に私は公開賛成派である。そしてイメージ的には、やっぱり賛否両論というか賛成はしてるけど、複雑な気持ちがあると言う方は多そうだし、レビューとかを見ててもそう思った。
だけど、その中で一つすごいしっくりきた感想がある。
『Aqoursを神格化させないために公開した』
私はすごい良かった!観るべき!と言っているが、正直公開するデメリットの方が大きいと思った。私は正直おかしい側の人間なので、面白いものがズレていることは大いにある。そんな私でも映画の中身は評価はする一方、公開しない方が良かったのではないか?という感想でいる。
それでも今公開した意味は、『Aqoursを神格化させないため』だったというのは、すごい納得のいく言葉だった。
μ'sは神格化されている。それは間違いないと思う。そして、それは後シリーズ組の苦しみにもなると同時にμ's自身の苦しみになっていたと思う。
それと同じ苦しみを背負わなくても良かったのではないか?そういう想いで公開されたものだと思う(まぁ、余計なものを背負わされている気もするが…)。
運営からの改めての言葉は以下の通りなのだろう。
『Aqoursは女神ではない。不和もあるし、彼女達自身も弱さも醜さもある人間である。そして、だからこそ、輝ける』
5 変わったもの、変わらないもの
君ここのダンスレッスン終わりの「怪我はない?」という伊波杏樹の言葉。
Finale Liveが終わった後の「怪我はない?」という伊波杏樹の言葉。
きっと伊波杏樹の胸にある『怪我をしない、させない。思いやりの言葉を持ってライブを楽しんでください』という言葉。
彼女達の関係性は大きく変わった。目標を失って、コロナで会うこともできなくなって、元々のトラウマもあってうまくぶつかりあうこともできなかったりして、彼女達の関係性に疑問符がつくようになって、色々変わってしまった。
だけど、それでも彼女達のラブライブ!が好きだ。ラブライブ!サンシャイン!!が好きだ。という気持ち。それだけはやっぱり間違いなかったんだろうと思う。
これでとりあえず私の感想は終わり。
正直好きなオタクだけ通知入れていたがために、感想を思わず見てしまった人もいるが、このブログを書き切るまでは、他の人の感想は見ないようにしていたので、これからゆっくり他の人の感想を見ながら、分かってねーなってガハハと笑おうと思う。
【ネタバレ注意】Aqours Documentaryの感想
随時加筆修正していくブログです。
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私はラブライブ!サンシャイン!!を一度でも推したことがある人は見た方が良い映画…だと思っている。
1 そもそも私にとってのラブライブ!サンシャイン!!とは
アニメ→1期、2期、劇場版
ライブ→2nd、3rd、4th、5th、Finale
書籍→漫画版、マルのヨンコマ
この記事を続ける前にお前はどのくらいラブライブ!サンシャイン!!を推しているんだ?という問いへの返答は上記の通り。そんなに見ていない訳でもないが、激浅のとこをちゃぷちゃぷしてるくらいの所にいる状態だ。
私にとってのラブライブ!サンシャイン!!とは、って一言で言い表すのは非常に難しい。
私はそもそも育ってきた環境からオタクになった後天的オタクだと思っていて、そのためそもそものオタクとして生まれてきた先天的なオタクに比べて、ラブライブ!シリーズを始めとしたオタクコンテンツとの触れ合い方が下手である。だからこそ、私は上手い距離感で付き合えない時間が多かった。
それにそもそも女性声優と言うコンテンツを好きになれない時間が多かった。誰が演じているとかそういう余計なバイアスがかかると純粋にアニメを楽しめないという思想が異常に強く、表に出てこないでほしい。という気持ちが大きかった。
そんな私のラブライブ!サンシャイン!!への付き合い方の最終的な結論としては、『私はAqoursではなくラブライブ!サンシャイン!!が好き』という形で落ち着いた。声優グループのAqoursも好きであるが、純粋に好きであるというだけの気持ちだけになれなかった。
だからこそ、アニメ準拠のライブが終わってからはライブに行かなくなっていた。
そういう微妙な距離感のコンテンツ、それが私にとってのラブライブ!サンシャイン!!だった。
2 Aqours Documentaryの感想
まず、Finale LIVEに行った人は、これを視聴すること含めて完成するものになるため、行った方がいいと思う。
そして、Aqoursを少しでも愛した瞬間がある人はぜひ行ってほしい。
私はこれを書いている段階で3回視聴している。3回とも泣いてるし、鳥肌が立っているし、観て良かったなと思っている。
基本的には素晴らしい映画であり、個人的には90点近い点数をつけれると思う。
減点されてる10点は各キャストの登場回数の差から来るものくらいであり、実質満点に近い。
ただ、この映画に関しては視聴後に10%くらいのもやもやを抱えている。それは最初から通しで見た時に感じたとある疑問だ。
9/29 12:00追記
改めて自身のもやもやの部分を観ていて、これを観たほうが良いと勧めるやつは頭がおかしいのではないか。と感じ始めた。
微妙な距離感のコンテンツ…と言いつつ、なんだかんだ嫌いになるわけがないと考えていたのもある。ただ好きな人の裏側とかを知らずに表だけ見ていたいという人がいるのであれば、見ない方が良い人もいるのだと思う。
3 伊波杏樹は救われたのか
私が視聴していて、帰り際に思ったこと。
それはタイトルの通りで伊波杏樹は救われたのだろうかという疑問だ。なぜそう思ったのかはいくつかに分けて書いていく。
またここから先は気持ち悪いオタクの妄想であり、不確かな情報も混ざっている。鼻で笑ってほしい。
(1)想いは一つになったのか
映画の構成やエンドロールで流れた歌から見て、この映画のテーマは『Aqoursはまた想いを一つにできるのか?』だと思う。
映画の中でAqoursは、ラブライブフェスでのμ'sとの共演。そして、コロナによるライブ中止により、みんなの想いがバラバラになってしまい、また一つにすることが難しくなってしまった。
偉大な先輩であるμ'sを追いかける、新しい挑戦をし続けるチャレンジャーであるAqoursが、目標を達成したことや後輩達ができたことによって、自分達が偉大な先輩になってしまった結果なのだと思う。
作中で斉藤朱夏も言っていたが、みんなライブの成功という目標は持っていたが、その目標に向かっての進み方がみんなバラバラになってしまって悔しいという話があった。
伊波杏樹もみんながバラバラになり、それを無理矢理一つにすることは逆にパフォーマンスの悪化につながるのではないかという考えがトラウマになり、円陣をできなくなったという話があった。
この映画の中での話を通じて、最終的には開演直前、舞台上、終演後それぞれで円陣を組むことができていた。それはある種のトラウマが払拭された瞬間でもあるのだと思う。
ただ、開演前の円陣を見る限りは、想いは一つになってはいない。することはできなかったのだと思った。だけど、改めて、みんなで今日を楽しむという同じ方向を向くことをできるようになっていた。それは伊波杏樹の手腕なんだと思う。
(2)自分を殺し続けた10年
伊波杏樹への個別インタビューの中で『犠牲になったものは何か?』という質問で「自分」と回答した。
回答に少し間があったが、恐らくこれを言っていいのだろうかと逡巡したのではないか?と考えている。
すぐに思いついた…逆にこれ以外思いつかなかった。ずっとそれを思い続けてきた。そんな印象を受けた。
Finale LIVE当日の映像で伊波杏樹が逢田梨香子に言っていたこと。「任せてよ」と言う言葉。これは自分を押し殺している結果の言葉なのではないだろうか。
だけど、それと同時に伊波杏樹のことは誰が助けてくれていたのか。
私が一番もやもやした部分はここだと思っている。
逢田梨香子も斉藤朱夏も降幡愛も。おそらくきっと他のメンバーも。気づいていても伊波杏樹を助けられなかったのではないか。伊波杏樹の本心を聞けず、常にプレッシャーをかけ続けてしまっていた。
それを思うと、この映画鑑賞後の気持ち悪さ(あえてのこの言い方だ)は一人に重すぎる想いを背負わせていた。それはファンを含めて等身大の彼女を観た結果なのだと思う。
(3)高海千歌として
作中の中で、いくつかあった共通事項。
長崎音響監督から、キャラは君達自身と言われて、声を作らなくていいと言われていたこと。
石川ゆみ先生から「千歌」と呼ばれていたこも。
イヤモニやマイクが入っているプラケースに貼られている名前はキャラクター名だったこと。
自分が伊波杏樹なのか高海千歌なのか。自分自身とキャラクターがどんどん一体化して、境界が曖昧になっていく。
改めての感想としては、一つの身体に二つの人生は重すぎるのだと感じた。
(4)最終的な救いと気づき
そんな中でも伊波杏樹が救われた瞬間がいくつかあったと思う。
①大好きを、感謝を伝えたい。自分の気持ちを晒すことでみんなと通じ合えた気がする(本番前の円陣をした感想でこんな感じのことを言っていた)。
②自分を殺し続けて、リーダーとして生きてきた。そんな中、本番前に斉藤朱夏とハグした時の会話。
伊波杏樹「任せてよ」
斉藤朱夏「何かあったら目を合わせて助ける」
このようなやり取りがあった時に、伊波杏樹はびっくりしたような顔をしていた。
それは自分が昔円陣を組む時にいつも言っていたことで、自分がみんなを守るための言葉だった。助けを求めたら私が助けるからという言葉だった。
だけど、それを自分が守るべきと思っていた対象から、その言葉を返された。
その時に自分をそこまで殺す必要はなかったんじゃないか。って気づけたんじゃないだろうか。
③最後のアニメ映像に対してのアテレコ後、2年生でハイタッチしようとした時に、後ろに1、3年生がいることを教えられるシーン。常に前を見て走ってきていた。でも、その背中にはずっと仲間がいたことが分かるような良いシーンだったと思う。あくまでたまたまだったと思うが。
④ラストの石川ゆみ先生とのやり取り。
高海千歌をやり切って、ある種存在意義が分からなくなる中で「元気だ」と評されていたが、きっと強がっていたのではないかと思う。
そして、最後捌けようとした時に石川ゆみ先生からかけられた「杏樹」の言葉。
ずっと千歌と呼ばれてきた人から、10年一緒に歩んできたもう一人の自分の名前ではなく、本当の自分の名前を呼ばれた瞬間、カメラに向けられた笑顔を見て、きっと解放されたんだろうなと感じた。
以上のシーンを観た上で、当初の問いである『伊波杏樹は救われたのか』に対しての答えは『救われてはいない。だけどきっと報われたのだと思う』という回答になると思う。
4 個人的に面白かったシーン
基本的に泣いてた映画だけど、個人的に思わず笑っちゃった?というか面白かったシーンを列挙していく。せっかくだし。
①1回目のリハ(振り付け確認時)で左右が分からなくなって、ちょっと面白いポーズをとる降幡愛。
②開演前の円陣で目を開けてしまう降幡愛。
③舞台上での円陣の際に全く姿形も見えずに聞こえてくる「9!」の声。逢田梨香子と小林愛香も不遇側だけど、全く姿形も見えないのはちっちゃwwwってなった。あんなにも感動的なシーンなのに、ずるいよほんとに。
5 総括
ドキュメンタリー映画は初めて観たのだけども、現実はフィクションのように綺麗な物語・ハッピーエンドにはならない。というのを改めて実感した。
私は距離を置いていた人間だけど、なんとなく欠けていたピースが埋まったような感覚がある。それは私なんかよりずっと追いかけ続けてきた人間はより実感できるのではないだろうか。と思う。
だから、ぜひ観に行ってほしいと思う。
だけど、人によっては衝撃を受ける映画だとも思うから、観に行くのを手放しにおすすめできる訳でもない映画だと思った。
なぜなら、想いが一つになれないままのAqoursを観させられていたと言う裏切りを感じる人もいると思うからだ。それを受け入れられない人もいると思うが、映画の中で改めて一貫していたものもあった。それはAqoursが大好きだと言うこと。
それぞれみんなプレッシャーを感じていたり、一区切りが欲しいという話をしていたり、自分を押し殺していたり、色々思うところはあったのだと思う。だけど、それでも今までみんなが走り切れたのは、みんなAqoursが好きだったからだ。
そこに裏切りはない。
私はそれだけで十分だった。
書き足りないことはまだまだ多くあるが、とりあえずこのブログはここまでとしておく。
映画、8番出口を見た感想と考察(☆3つ)
0.前段
8番出口を見て来た感想等をつらつらと書いていくので、ネタバレ注意だ。
まず、私はゲーム未プレイ(YouTubeShortsでRTA8番出口が流れて来たことがあるくらい)かつ小説未読勢である。
また、内容に妄想や偏見が多くあるため、自己責任で読んでいただきたい。
1.大枠の感想
そもそもの話として、面白かったか面白くなかったかという話をすると、私には合わなかったということでお茶を濁させていただく。
全く面白くなかったというと、そういう訳でもないのだが、久しぶりの邦画だからかツッコミたくなって、集中できなかった。それで言うと、ジュラシックワールドとか完全フィクションの作品の方がツッコミどころもあれど、まぁそんなもんかと流せる。だが、現実的に知っているような光景が並ぶ本作について、フィクションだけどフィクションという形で脳が
理解しきることができなかったという感じだろうか。
それを踏まえた上での私の感想としては、『はよ、引き返せや!!』と『クソガキ(以下、少年とする)、ちゃんと話せや!!』の二つである。
なんと言っても、そこでしっかり立ち回れていれば、バッドエンドにならず救えたのではないか?という考えがずっと頭をよぎってしまっていた辺り、後半は集中できない部分があったのも本音だろう。
だが、この感想について、『はよ、引き返せや!!』に関しては、映画にならなくなるし、『少年、ちゃんと話せや!!』は物語の構成的に必要だったので、的外れな感想と言わざるを得ないだろう。だが、考察等抜きにして頭空っぽな状態で見た時はこの感想にならざるを得なかった。
ちなみにここまでぎゃあぎゃあうるさく文句を言っているが、ストーリー性の薄いゲームの数少ない要素から三章構成にして、一つの映画にしているのは素直に感嘆した。
2.考察
正直、頭空っぽにして見て面白い映画ではないというのが正直な感想である。
と言うのも、明らかに何か伝えたいメッセージ性のある映画だったからだ。
私が感じたメッセージは以下の要素だ。
(1)そもそも異変とは?
起きた異変について、記憶している限りは
①8番出口の看板の裏が「引き返せ」になる(第一章と第三章)。
②電灯が増殖して、不規則になる(第一章)。
③天井から血が降ってくる(第一章)。
④おじさんが笑顔になって、背後に張り付いてくる(第一章)。
⑤看板の目や顔が主人公を見つめてくる(第一章)。
⑥赤ちゃんが泣く(第一章)。
⑦元カノから電話がかかってくる(第一章)。
⑧通路の電灯が黄色くなる(第一章)。
⑨女子高生が話しかけてくる(第二章)。
⑩ドアノブの位置がおかしい(第二章と第三章)。
⑪偽物の8番出口が出てくる(第二章)。
⑫天井の看板の8が逆になっている(第三章)。
⑬停電して、人の身体の部位が浮き出たネズミが大量に襲い掛かってくる(第三章)。
⑭元カノ(少年の母親)が立っている(第三章)。
⑮開かずの扉が開く(第三章)。
⑯洪水(第三章)。
くらいか?あんまり覚えていないかもしれない。
この中で印象的だったのは、⑨女子高生が話しかけてきた異変だろう。
「ここは地獄なのだろうか?いや、現実世界が地獄なんだ」(要約)という言葉。恐らく現実世界で何か抱えている者がこの8番出口に来るのだということを教えてくれているのだろう。
そして、異変と言うのはある種の試練のようなものなのだと思う。
主人公は喘息持ちの派遣社員であり、元カノの妊娠が発覚した状態。想像というか偏見ではあるが、金銭的な理由からの別れという形ではないだろうか。
また、元カノの妊娠の話を聞く前に電車内で赤ちゃん関係のトラブルに遭遇していた。そこで赤ちゃんがいることの苦労も改めて実感した上で元カノからの妊娠告白→8番出口に迷い込むという形だ。
そんな中、主人公が遭遇した異変は第一章及び第三章の異変である。
ここまで話しをしておいて元も子もないことを言うが、異変には大きく分けて二種類あると思っている。一つ目は視覚的に我々が楽しむための異変。二つ目は主人公の不安が具現化した異変だ。
それぞれ番号を振ると、
一つ目は、①、②、④、⑧、⑩、⑫
二つ目は、③、⑤、⑥、⑦、⑬、⑭、⑮、⑯
と言う感じか。一つ目のやつに関しては、我々に向けたエンタメなので、考察要素がない(と言うより考察要素が思いつかないから、エンタメなものだろうと考えた形だ)。
二つ目の異変について、一つずつ考えていることを列挙していく。
③、正直エンタメ枠と迷ったが、なぜか初めて見た時は血涙のように感じた。主人公の迷いや助けを求めていた冒頭の母親が流していた涙なのでは?と感じた。
⑤、冒頭の自分が見捨てた母親や元カノについて、主人公が追い目(負い目)を感じている表れだと思う。
⑥、これも主人公の不安の表れだと思われる。
⑦、主人公の話したいと思っていた気の迷いに付け込んだものだろう。また、主人公の妄想的に都合の良い言葉を求めてもいたのかなと思っている。
⑬、停電は主人公自身が未来は暗いものだと思っているのだと思う。というのも、主人公は出たいけど、出たくない(現実と向き合いたくない)と思っている節があった。その中で脱出できる可能性が高まったことから、より不安が表に出てきたのだと思う。また、ネズミは自分を監視する者の暗喩だと思う。
⑭、自分の元カノが立っているのは、⑦と同様。だけど、これはどちらかと言うと大人としての成長や少年との和解のためのものだろう。
⑮、主人公が自身の罪や迷いと向き合うためのものだろう。この時に少年も同じものを観たのか、少年は少年のものを観ていたのかは分からない。
⑯、これは最後に主人公が先を進むための覚悟を決めるためのものだと考える。
⑯の先を進むための覚悟とは、異変に気付いたら引き返す覚悟だと思う。それは現実世界での話だ。ラストで最初は見逃していた異変(見捨てていた母親のシーン)について、もう一度同じものに出会った時に、涙を流しながら、そちらに向かっていった。どういう行動をとったかは分からないが、異変に気付いてそのまま目を逸らすのではなく、引き返す(向き合う)という風に主人公が変わっていったのは、映画の作りとして良かったと思う。
つまり、異変とは8番出口の世界だけでなく、現実世界でも起こり得るものでそれとどう向き合うのかという問いかけがあったのだと思う。
(2)地上と地下
前段の⑪について、偽物の8番出口は地上に向かっていた。
だが、実際の8番出口は地下に向かっていて、改札につながっていた。
これは何を表しているのだろうか。
今の私の考えとしては、上に進むのは、目を逸らすことの暗喩。そして、下に進むのは、自問自答の表れなのではないだろうか?
前述もしたが、現実世界にある異変に気づいたら引き返してどう向き合うのかがこの映画のテーマだろう。そして、その向き合う時に自問自答は必須になる。
だから下に向かう⇒自分の中に進んでいくのが、正解ということなのだろうと感じた。
(3)少年について
端的に言う。主人公と元カノの子供ではないと思う。というのもなぜかと言うと、第二章でおじさんと一緒にいる意味が分からないからだ。
私はこの少年は一つの異変であり、また、可能性という存在なのだと思う。
途中何と言っていたかうろ覚えだが、おじさんは「この急いでいる時に」というようなことを言っていたと思う。このおじさん自身もきっと子どもが産まれるところなのではないだろうか。と思った。
つまり、この少年はおじさんの子どもになる可能性もあるし、主人公の子どもになる可能性もあるし、これから先に迷い込む誰かの子どもになる可能性があるという存在なのではないかと思った。
だからこそ、主人公達の脱出の手助けをしてくれるのだろうと感じた。
(4)少年について②
最初の感想でクソガキ呼ばわりされた少年だが、この少年はコミュ障というか言葉を発することができなかった。
そのせいでおじさんがイライラしたり、最終的には可哀想なことになってしまっていた。
少年とおじさん、少年と主人公の関係性については、面白い対比になっていた。
少年とおじさんについては、おじさんはスーツ姿だし、恐らく正社員で責任ある立場として働いていて、自分の判断を重要視しているのだろう。また大人のプライドとして、自分が何としてもこの少年を助け出さなければという感情もあったと思われる。
対して、主人公は派遣社員。プライドを持って働いているとは思うが、正社員に比べては責任感が少ない。また、少年と出会ったばかりで少年を知ろうとしていたのだと推測される。少年を知るために一番重要なことは少年の目線になってみること。その時初めて少年が異変に気づいていることに気づく。
色々と書いているが、私は少年も一種の異変だと思っている。
そして、これは何を表しているのかと言えば、弱者の声に耳を傾けるということではないだろうかと思う。弱者に寄り添った主人公と弱者を従わせたおじさん。これはそう言った対比を表すための要素だと感じた。
(5)8番出口について
私の妄想や偏見が多くあるが、以上が私の考察である。再度総括すると、8番出口の伝えたいメッセージは現実の異変から目をそらすなということだと思われる。
3.最後に
私のこの映画への感想については、最初のものと変わらない。あくまで私には合わなかった映画だと思っている。
だが、数多くの発見があるし、映画館の音響をフル活用して表現される不気味さは、一度感じてみてもいいと思う。
正解の道を歩いていきたい
この世には正解があるのは数学とかの話であって、かなり限られている。
だが、その上で言いたい。正解を選びたい。
なぜ、こんなことを思うのかと言うと、最近感想を言う機会が増えたな~と思ったからだ。
感想と正解?ん?自分が感じたことに正解も間違いもないんじゃないか?そう思うのが普通だろう。というか普通だ。
つまるところ、自己肯定感が極端に低いのだと思う。
自分の感想、解釈、狙いを言って、否定されたくない。
そして、否定されないためにどうするのか。
意見を言わないこと。もしくは、演者・運営の想いを当てる…つまり正解を言うこと。その2つだろう。
否定されないために、正解を言いたい。正解を分かりたい。
だからこそ、ライブ後の感想のエゴサなどはしない。正解があふれていて、これを感じ取れなかった、分からなかった自分は何かが欠けている人間なんじゃないか?と言われているかのようだから。
別に感じたことをそのまま言うのは嫌いではない。別に否定されたところで「ああ、あなたはそうなんですね。でも、私はこう感じましたよ」ってだけである(でなければ、○○○の生首を持つ○○○とかいう幻想を共有しない)。
プライドは高く、自分を守りたい完璧主義者。だけど、同時に自己肯定感が低く、自分を一番攻撃しているのは結局自分なのだ。
自分に自信を持てるようになりたい。だが、それを願う自分は常に卑屈な自分に笑われている。
P.S.これから関わる人もたくさんいると思うが、上手く感想を言えない時はそうなのかもな~くらいで頭の片隅に置いといてくれると助かる。
オタクになった理由
最近スマブラのオフ大会に行くようにしているし、小説と言うにはおこがましいが、また書き始めた。
なぜかというと、Liella!に心動かされたからだ。
私と話してる人で気づいている人は気づいていると思うが、私は先天性のオタクではなく、学生時代などは正直オタクではなかった。強いて言えばライトなオタク?という感じだった。『涼宮ハルヒの憂鬱』と『バカとテストと召喚獣』と『とらドラ』と『化物語』を書籍で読んでたくらいだ。アニメ自体ほぼほぼ見ていなかった。涼宮ハルヒの憂鬱を全編見たこともなかったと思う。
その分何をしていたかと言うと、1人で黙々とCPU相手にスマブラXもしくはマリオカートWiiをやっていた(全然友達ともやっていたし、モンハンやったり、野山を駆け回ったりもしていた)。
そんなこんなでひょんなことから東京に就職することとなった。
私は最初は物欲もなく、ぶっちゃけ金がめっちゃあった。給与もほぼほぼ残っており、一生YouTubeを見て一日を過ごしていた。だが、あるものと出会い、人生が変わった。
ラブライブ!との出会いである。そこから全てが変わり、オタクの道に足を踏み入れた。今つながりのある人全員、ラブライブ!がなかったら、つながっていなかった人たちである。
そう、ここから後天的オタクとしての人生が始まった。
話は変わるが、私には夢があった。
作家…小説家になりたかった。クリエイティブな仕事をしてみたかった。
子供の頃は妄想だけだった。
中学生になって、漫画の達人だったかを買って、練習をした。
高校生になって、小説家になろうにオリジナル小説を投稿していた。
でも、そんな馬鹿みたいなことを続ける意味がないと思い、専門学校に入った辺りで辞めた。
だけど、形は違ってもやっぱり頑張りたいなと思った。
μ'sが夢の熱さを思い出させてくれた。Aqoursが夢を後押ししてくれた。とある出来事で筆を折り、潰れて停滞した俺をLiella!が引っ張り上げてくれた。
今雑に、それでも少しずつまた書き始めたのはそういうことだ。
また、話は少し変わるが、スマブラについても話すと、私は負けず嫌いである。そして、歪んでいるため、『負けない』ために『戦わない』ことを選んでいた。
でも、それじゃだめだった。分かっていた。目をそらしていた。強い人も同じだけかそれ以上に悩んでいる。迷っている。こんなチンケなところで何を足踏みしているんだろう。果てしない階段を見上げて、なぜその場で諦めたんだろう。
やっぱり努力とか考えるとか嫌いだ。でもどうしようもなく、魅了される。憧れる。あの舞台に立ってみたい。
その想いでまた歩き始めた。
自分は界隈の中では、年を重ねてきた方になってきたのではないかと思う。スマブラでも創作でも自分より年下にすごいやつがいっぱいいる。それでも進むことにした。
やらない理由を考えるのも、できない理由を探すのも、もう辞めた。
大げさに言うと、夢であり憧れだから。
ちゃっちく言うと、やりたいことだから。
正直、私の夢は叶わないと思っている。
だけど、それでも彼女たちが教えてくれたことを俺は追っていきたい。
Liella!の5thライブで思ったこと(主に原理主義者について)
ラブライブ!スーパースター!! Liella! 5th LoveLive! 〜Twinkle Triangle〜に参加して思ったこと。
やっぱLiella!は最高だな!!ということである
そんな風に思っている中、Twitterで一つ面白いツイートを見かけた。
なんとなく言うと、「5人曲を11人でやるな」と俗に言うLiella!は5人原理主義者の言っていることだ。
うん。分かる!!
Liella!は5人だし、ラブライブ!はμ'sだよな!!そうだよな!!俺も原理主義者なんだよ!!そうなんだよ!!余計なものはいらないんだよ!!
と思っている。
だが、それと同時にこんなくだらないことを言ってる俺をぶっ飛ばしてくれと思っている。
正直に言って、過去の良かった物を反芻しているのは心地良いし、外れもない。
だが、そこに進化はあるのだろうか?とも思う。
俺は原理主義者である。原理主義者となった理由はたくさんあると思う。だが、それはあの時あの瞬間だけの大切なものではないのだろうか?
大切なものを皆に見せびらかすのではなく、たまに記憶の箱から取り出して愛でてあげることが大切だと思う。
Liella!の話を続けると(これは個人的に浅いだけであれば申し訳ないが)、Liella!は5人曲を11人曲としてやっているが、その歌っているパートに関して、違和感はないのではないだろうか?
私は個人的には違和感がないどころかお前が歌うべきだろ!!と思うパートが多々あり、元々11人前提の曲として作られていたのではないか?と思えるくらい自然だと感じている。
キャスト陣はどうか分からないが、運営は狙っていたのではないか?と思っている。
また、今回の5thライブでもかなり私が評価したいのは、Tiny Starsだ。
Tiny StarsはLiella!の曲ではなく、クーカーの曲である。そして、あの2人のドラマがあってこその曲である。つまり、11人で歌ってはいけない曲なのである(詳細は唐可可についてのブログに詳しく書いてある)。
今回の5thライブでは、その不可侵領域を護った上でのライブであった。
こんなの好きにならないでいられるか!?
私は原理主義者である。
だが、それと同時に原理主義者なんてくだらねぇ!!って言ってくれる運営をこれからも信頼(信頼と書いて脅迫と読む)していこうと思う。
Liella!ちゃんを信じろ!!
Liella!ちゃんは最高だ!!
俺はこれからもLiella!ちゃんを推し続けようと思う。
短いと思うが、以上だ!!